« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006/02/27

好きだ、(20060227)

sukida不思議な感覚を味わった。たぐいまれな「作品」だった。「映画」というよりも、「作品」という言い方が似合う。石川寛監督。知らなかったが、これが2作目になるという。コマーシャルフィルム制作を数多く手がけてこられた方らしい。パンフレットで知って、なるほど、と納得できる映像だった。

音楽は、菅野よう子。
宮崎あおい、瑛太、永作博美、西島秀俊、加藤亮…とくれば、普通でないことは予想できたが、これほど魅せられるとは。どんな場面にも思いがあふれかえる。洪水のように。ただ、夕焼けの空がスクリーンに映るだけの時も。観ていると、それだけで。

撮影にも録音にも相当の配慮があったように感じられた。説明的なモノローグや台詞がないばかりか、重要な場面でも、台詞らしい台詞がない。意図されたものであるにせよ、「語らずに語る」。本当に不思議だ。

上映時間が、やや長めなのが気になるが。この透明な雰囲気と、生活音や自然音、息遣い、あとは、美しい空と風景。ほとんどそれだけで「理解」できる。彼女が彼を「好きだ」ということ。彼も彼女を「好きだ」ということ。
なにかこう、新しい「感性」に巡り会ったような、斬新な「表現形態」に触れることができたような、そんな気もする。

ひとりで、こっそり、じっくり観るのに適している。いろいろな思い出が交錯した。
これは、好きだ。(洒落ではなくて…)

公式ページ→http://www.su-ki-da.jp/
写真は、パンフレットから。(copyright:「好きだ、」製作委員会)

| | コメント (14) | トラックバック (8)

2006/02/26

crash(20020218)

衝撃的な映画だった。高評価されるのが、よくわかる。人間の心理と行動、内面と外面、その複雑さを描こうとしているように思えた。それにしても、怖い場所だった。平和ボケを満喫する「平穏な日常」を生きる自分には、到底実感し難いシチュエーションでもあった。
crash

劇的にするためなのかもしれないが、こうまでエキセントリックなキャラクタ、図られたような偶然、といったものが重なるとどうも、懐疑心が頭をもたげてきてしまう。

なにより、「…こうなのだ」というような、現実を突きつけられただけで、それをどう思い、どう判断するかは、観る側に委ねられているように感じた。悪人と思われる人にも、良いところがあり、それぞれ事情を抱えているということ、善行を行っていると思われる人にも、負荷を与えて落ちていくようにセッティングされている。

「あんたには助けて欲しくない」と叫ぶ事故車に残された女性の気持ちが痛い。
追いつめられた心理状態にある父親のために、敢えて「空砲」をセットしておく娘の賢さに脱帽する。

この映画は、観て良かった。良い映画の部類に入るだろう。でも、もう一度観たいとは思えない。結局、問題は、問題であるだけで、戸惑うばかりだったからかもしれない。欧米、ことにアメリカに根強くある「人種差別」のすさまじさは、そこに生き、感じている人たちにしかわからないことだ。

| | コメント (26) | トラックバック (22)

2006/02/25

泣いたり、笑ったりの日

オリンピックは、いい加減にしか意識していなかったが、「荒川さん」は、なんとなく応援する気持ちでいたから、嬉しそうな彼女を見ることができてよかった。力みのない、すばらしい演技だった。

リアルタイムには、見ることができなかったから、録画で見たけれど、彼女の超えてきた「試練」を思うとぽろぽろ泣けた。村主さんの演技も、すばらしかったし、彼女の「健気さ」にもほろほろ泣けた。コーエンさんにも、スルツカヤさんにも、ここまで来るまでにどれだけのものを犠牲にし、乗り越えてきたのか、と思うとぐっときた。出場したくてもできなかった人も大勢いるのだし、「夢」だけに終わってしまう人も、もっといると思う。
運動能力も、精神力も、すべてに優れていなければならないのだから、想像を絶するものがあるだろう。他の競技にしても、きっと、ものすごくたいへんなのだ。運動音痴の自分は、ただただ、「驚異」のようにみつめるだけだ。

メダルに届かなかった悔しさは、この舞台へ上り詰めるほどの努力をしてきた人たちならば、無理はない。「悔し涙」にもくれるだろう。が、「…恨みをはらす」というコメントが聞こえた時には、聞き間違いではないか、と思った。
何の、誰に対する「恨み」だろう。わからない。オリンピックに出場して、「恨む」とは、いったいどういうことだろう。不思議なことを言うなぁ、と思う。

それにしても、女性陣が、明るく、全力を出した結果だから…と受け止めている選手が多いように見える中、男性陣は、「悔しさ」を露骨に表現するようになったなぁ、という感想を持った。だいたい、すぐ涙が出るのは、なぜだろう。若い男性ほど、すぐ泣いてしまうように見えた。気のせいか?

夜になって、『時効警察』を見た。今回は、笑えた。「厄よけ、やっちゃん」も登場したし、署長(?)の頭のヤカンの湯気も、漫画の実写で、超受けた。またまた、「那須の茄子」の箱まで登場して、どこかで見た…と思い出す。
金庫にしまってあった、「遺留品の箱」がなくなって、みんながクビをつっこんで、金庫の中を探すのには、げらげら笑った。そう。姿形をおもしろおかしくしても、たいしておもしろくない。動作や台詞が、おもしろいのだと、いまさらのように気づいた。あー、でも、このままだと、来週が「最終回」になってしまう。残念無念。

この後に及んで、携帯サイトをチェックしたが、月額265円で登録しても、もうすぐ終了になるなら、意味ないかもしれない…と少し悩んで、登録を中止した。

| | コメント (4)

2006/02/18

アメリカ,家族のいる風景〈Don't Come knocking〉(20060218)

dont_come_knock公開初日、初回上映に出かけた。だいぶ復活してきたかな、気力。
どうしても、早く観たかった。期待以上。これは、たいへん好みの映画だった。この映画を制作している途中で『ランド・オブ・プレンティ』を制作したのかな、などと思う。

すべてのシーンが、スチールになりそうな構図を保持している映画は、なかなかない。後ろ向き、背中のバストショットからカメラは、パンして360度回る。それも、一度ではなかったりする。媚薬のように、音楽と色彩と風景が、人物を際だたせながらも、自然に、美しく調和する。みごとだ。

人気のない街中のシーンなどは、キリコの絵画のごとく不思議なバランスを持つモダンな空間にしあがっていて、映像や音楽とともに、まるでデザインされた空間に放り出されているようだ。それでいて、感情は緊張し、高まっているのがわかる。なんといったらいいのだろう。この感覚。

この映画でも「窓」は重要な意味がある。窓から外を、外から室内を…。
路上に放り出され、めちゃめちゃに壊れた家具類、その中のソファに座るハワード。このシチュエーションもたまらない。実におしゃれだ。ぞっこんだ。

『パリ、テキサス』もたいへんな評判だったらしいが、そちらは未見。その映画で脚本を担当したサム・シェパード氏。今回は、脚本だけでなく、主演している。これがまた、すばらしい。ルックスも、声も、とても魅力的。

脚本がいいのが、すごくよくわかる。無駄なシーンは、ひとつもない。しかも、すべてのシーンに、気持ちが込められている。…と手放し。 このところ重いテーマの映画が多かったし、辛い思いが残るものが多かった。だから、余計に、不思議な明るさと暖かさを感じられるこの映画に、安堵したところも大きかったのだろう。

「孤独」の果てであろうとも、気がついて、真摯な気持ちを表すことができれば、そこには「繋がり」と「寛容」があって、暖かく包み込み、「安心」を与えてくれる。ここでも、物静かなスカイ(サラ・ポーリー)は、積極的に主人公を救うことで、自分自身も救われる…と知っている。

適度に自然な「笑い」も含んでいて、ほっとする。誰か特定の人物に感情移入することなく、俯瞰的に観賞していられたことも、気分をよくした要素のひとつだったかもしれない。

ヴィム・ベンダース監督は、「本当のやさしさ」を知っているのだと思う。暖かさが、浸みてくる。
dont_come_knock2

| | コメント (6)

2006/02/14

ミュンヘン(20060213)

演奏は、別の人だったが、スティングの曲がかかっていた(ドイツの友人宅)。車の中で、スティーブ(ダニエル・クレイグ=この方、どこかで…と思ったら『トゥーム・レイダー』に出てた。今度は、007なんですか? 青い目の?)が、口ずさむ、あの曲にも覚えがある。「ブラック・マジック・ウーマン」は、自分でもベースを演奏したことがある(汗)。とても懐かしい。(「Oye como ba」という曲も覚えてる。「キャラバン・サライ」の方が好きだけど。)
あの頃のことだったのか…と思う。何語を話しているのか、くらいはわかるが、内容はちんぷんかんぷん。松浦さん、もう少し詳細な部分にも字幕つけてください。(汗)

エリック・バナは、なんとなくトム・クルーズに似ていると思った。鼻が高く、彫りが深く、神経質そうな顔立ち。観るなり、暗い。シーンの色調も、ずっと暗い。「殺人をしたのではない、という証明が欲しい」というアブナー。

日常と非日常。生と死。怒りや恨み、そして望みと願い。
料理したり、食事をしたりするのと同じように、「使命」のための行動があるものなのか?

ジパングと呼ばれた島国で、同一民族、同一国家、そして宗教は、なんでもござれ…のこの国に生まれた者としては、想像を絶する「渇望」がそこにある、ということだけを理解する。

「個人」には、なくても「国家」「民族」「宗教」にはある「恨み骨髄」。
『ホテル・ルワンダ』でも思ったことだが、「人間は、哀しい」。
たとえ、「プロ」であろうとも、人間であることに変わりはない。仲間を思い、家族を愛し、子どもを慈しむ。
料理もし、異なる価値観を持つ人とも会話することができる。

「一瞬」に、何もかもが「破壊」されてしまう。この「一瞬」を避ける手だてはないのだろうか。

判断に迷っていたら、自分自身の生死も危うい状況の中で、反射的に行動してしまうのを、一体誰が止められるだろう。「怒りと報復の連鎖から生まれるものは何もない」といった主旨の台詞を主人公に言わしめたこの映画が、イスラエルで批判されるのは、しかたのないことかもしれない。

ラスト、ミューヨークのツインタワーは、まだそこにあった。
あたかも、この後に起きる「惨劇」が、この時点(いや、もっと前?)から、ひたひたと浸透してきていたことを象徴するかのように、遠く霞んで…。

| | コメント (12)

2006/02/12

ジャーヘッド(20060211)

著しくモチベーションがダウンしていたので、ガッツ出して出かけた。ナイトショーに、自転車で向かった。

映像の色彩と音楽が、とても印象的だった。
いつの時代でも、戦場に赴く兵士は、「祖国のため」「平和のため」に「戦うぞ」といった気持ちがあるのだろうけれど、たいがいは、「戦争映画」のように「激しい実戦」が、いつも必ず繰り広げられる…ということはなく、むしろ「実戦」とは別のことに「たいへんな苦労」をするものなのだろう。

特に現代の戦場で、歩兵が大活躍するような場は、まずあり得ない。
「員数合わせ」のため(?)、彼らは「長期間、退屈と戦う」はめになる。「退屈と戦う」ということは、「激しい実戦」をすることよりも、若いエネルギーには問題なことのように見えた。

夢中になり、上達した「狙撃」の腕は、とうとう発揮することもなく、戦争に行ったのに「一発も撃たず、誰一人、敵を殺す」ことなく帰国する兵士たち。これといったストーリーはなく、淡々と続く、その経過にも、「兵役」を選択したアメリカの若者たちの「苦悩(どうしたらいいのか、わからない…)」がにじみ出ている。

どこにいても、結局、常に戦わなくてならないのは、自分と自分自身。

何が「善」で、何が「悪」なのか。彼らに救いはあるのだろうか。
ジェイク・ギレンホールの体当たりの演技には、驚いてしまう。ピーター・サースガード(トロイ役)の存在や台詞は、こちらが苦しくなるほどの迫力を持っていた。ジェイミー・フォックスは、こういう役が似合うかも。

| | コメント (9)

2006/02/06

プルーフ・オブ・マイ・ライフ(20060206)

これは、多くのことを考えさせてくれる映画。グウィネス・パルトロウの演技が、輝いている。
心情の揺れ。親子であればこその「葛藤」。乗り越えねばならないこと。

唐突なラブシーンは、要らなかったかも…と思いながらも、ジェイク・ギレンホールが、演技派にまた一歩近づいていくのをとても嬉しいと思う。アンソニー・ホプキンスは、いぶし銀のようだ。

空になった家の中に、立ちすくむキャサリン。そこから一歩踏み出さなければ、何も解決せず、何も生まれない。カメラワークは、巧みだ。技巧を凝らしているわけではないが、十分な緊張感がずっと持続する。キャサリンの心の揺れも、不安も、かすかな希望も、確かに掴んでいる。

ハル青年は、ひとつの足がかりでしかない。決めるのは、彼女本人の心。
ふたりを見守るように、カメラが引いていくラストのシーンは、暖かい。

| | コメント (2)

THE 有頂天ホテル(20060205)

感想は、パスしようと思ったほど。かなり「がっくり」きた。
こういうのが、最近の「人気」なのだろうか? だとすると、自分は、時代遅れ?

どのエピソードも、中途半端でお粗末。少しも笑えない。楽しくない。心もあたたまらなかった。
乗れない自分が、いけないのか? 豪勢なのは、俳優陣ばかり。もったいない。

それにしても、隣席の若いカップル。お願いだから、上映中に「…ここは、ほら、あの歌だよ」「そうよね」
なんいう会話、やめてくれ!

| | コメント (10)

2006/02/05

単騎、千里を走る 博士の愛した数式(20060204)

3本観ようと思ったが、時間的に無理だったので2本。
どちらも、めだった感想はなかった。最近は、条件反射的に「涙」が出るようになっているので、正直、それほど感動していなくても「涙」が出てしまう。

どちらも良いお話ではある。

「単騎、千里を走る」
主人公とその息子の確執が、大前提なのだけれど、弱い。伝わってこない。だから、どうにも「必然」を感じない。中国の人たちは、みんながみんな、「あんなに親切」なわけがない。どうも、おかしい。
風景の映像も、どこか漠然としていて、特に何か感じることはできなかった。

「博士の愛した数式」
お話は、きっと小説で読んだら感動すると思った。「お話」が良い。「映画」が良い…とは、ちょっと思えなかった。
それでも、音楽を最小限にしていたことは、良かっただろう。自転車で走るシーンは、あんなになくても良さそうに思う。いくら「家政婦」でも、「家政婦さーん! 電話ですよ」とは、言わない。多分。
算数も数学も、嫌いじゃないけど苦手な自分は、そっちの意味では、とても勉強になりました。

どちらの映画も「独白」が、多くて、少々気になった。「単騎…」では、「独白」で説明しすぎのように思う。
高倉健は、「無口」がいいと思う。
思わせぶりなシーン(葬式のシーン等)が、ある一方で、わざわざビデオにして「状況説明」「心情説明」的なことをしている。どうしてだろう? わからない。

いわゆる「説明」が多いと疲れてしまう。映画を観ているのか、映像付きで朗読を聞いているのか、わからなくなってしまう。

| | コメント (22)

2006/02/02

ホテル・ルワンダ(20060131)

人間は、哀しい生き物。どんな形であれ、「優越」しなければならないと、DNAがささやいているかのよう。

日本人が、欧米系の人たちを見ても、「アメリカ人」なのか、「イギリス人」なのか、言葉でも聞かない限り、そう簡単に見分けられないように、欧米系のおおかたの人たちは、「日本人」も「中国人」も「韓国人」も、きっと見分けられない。

ましてや、「ケニア人」「ザンビア人」「モザンビーク人」…、アフリカの人たちの所在する国を、人を見ただけで見分けることが、できるわけがない。彼ら自身ですら「IDカード」の証明書がなければ、「何族」か、なんて、見分けられないかもしれない。

『似ているものは、反発し、互いに優越しようとする』ものなのかもしれない。
自分によく似た人が、いれば、「私は、あの人とは違う」という証拠が欲しくなるものなのかもしれない。

白人は、白人同士でも、その中で「差別」し合う。だが、それは、すでに大きくカテゴリ分けされた「白色」と「有色」というルートディレクトリから枝分かれした部分でのことだ。白人の中では差別されている人たちでも、いざ「有色」の人たちの中に入れば、たちまち「優越」するだろう。

「貧しさ」「教育の不足」は、「恨み」や「暴力」となり、「嘘」「欺瞞」「裏切り」を日常化してしまう。


ドン・チーゲル扮する主人公、ホテルの支配人は、「品格」という。問われるのは「人間としての品格」だろうと思う。彼は、よく学び、努力している。しかし、彼(主人公)も、大きな「差別」の元では、その「品格」を認めてもらえない。

暴徒化し、見境なく「虐殺」する民兵には、「品格」はない。なぜ、ないのか?
なぜ、貧しいのか? 国が貧しいからなのか? とすれば、なぜ、国が貧しいのか?

それは、大国が、「価値がある」と判断したものは、すべて自国の利益のために搾取しつくしてしまうからだ。そして「価値がない」と判断された彼らに残ったのは、「互いを憎み、殺し合う」ことでしか「優越」(これも、およそ「大国」からの価値観が、送られたものだと思う)することができなくなってしまった、という事実だったわけだ。

人は、何のために生まれ、生きるのか。「優越」のためなのか?
「虐殺」された人々は、それが「運命」だったというのか? 「虐殺」した側も、それが「恨み」をはらし、「優越」することだったというのか? なぜ、地球にこんな「人類」のような、どうしようもなく「哀しい」生き物が、生まれてしまったのだろう。宇宙に存在すると思われる生命は、他の天体には、おそらくないと思われるのに。これが、人の背負った「宿命」なのだろうか。

「差別」は、「差別すると得をする」人が、作り上げる価値観なのだと思う。
「貧しさ」は、「人格を変える」のだとも思う。

あなたは、もし生まれ変わる場所を選べるとして、その時「ルワンダ」に生まれたいと思えるだろうか。そうでなければ、「気の毒だ」「助けたい」などと、軽々しく言うことはできないと思う。私は、「否」だ。とても、彼らの助けになれそうにない。自分もまた、己が大事であることや、無力であることを痛感させられる。

どなたかもブログで書かれていたが、「この映画」は、「映画」を超えている。

同じ人間が、こういうこともできる、あんなこともできる、同時に「こうでしかない」「ああでしかない」、ということも、これが事実に基づいた「映画」であることで、重く、それはそれは重く、のしかかってくる。

| | コメント (32) | トラックバック (5)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »