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2006/06/21

初恋(20060620)

ちょうど、高校時代。地方だったのだが、映像から感じられる雰囲気は、なぜか懐かしかった。主人公の「みすず」。彼女と同じくらいの年齢で、あの頃を通過していた。
辛い家庭環境がなかったとしても、「認められたい」「褒められたい」「役に立ちたい」…「必要だ」と言われることの重さ。それが、どんな些細なことでも、逆にどんなに重大なことでも、事の内容そのものは、彼女にとってあまり意味はなく、たとえば、「秘密を共有する共犯者」として「唯一無二の関係」であることが、想いをより強烈にする。

「愛」ではなくて、あれは「恋」。
もしかしたら、多分、今の時代には、感じられないような感情や想い。

宮崎あおい。深くて微妙な表情やときおりみせる笑顔は、演技なのだろうか?

主要なキャスト以外は、顔がわからないような演出になっている。
ラジオから流れるアナウンスで、時代の様子を語らせるのが、何度もあったのが気になった。

元ちとせ。彼女ならではのムードのある声と確かな歌唱力は、とても良かった。

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「映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

■いわいさんへ
ほんと、あおいちゃんの笑顔には、おそらく自分もつられて笑顔になっていただろうなぁって思います。(^^;)
>大学生が大人に見えた
そうですね。同じ高校生でも、3年生などは結構しっかりしているように見えたりしました。
すごいなぁ、政治のこととか考えるんだ…なんて。(笑)

精神年齢がどんどん若年化しているような気がしませんか?
あの戦争のころには、10代でも相当な自覚のようなものがあったように思います。我慢強くもあったと感じます。それが良いか悪いかは別としても。世の中が豊かになるのと人の心が豊かになるのは、必ずしもシンクロしないのかもしれませんね。

投稿: あかん隊 | 2006/07/25 13:44

こんにちは。
宮崎あおいの笑顔がまぶしくて、キュンってしてしまいました。
時代を体験していないワタシでも、なんとなく懐かしい気持ちになりました。
自分が子供の頃って、大学生はとても大人だと思っていました。今の子供は、そんなこと思っていないような気がしますけど。
今の時代、大人の境界線はどうなっているのでしょうね。
背伸びして体験する大人の世界って感覚はあるのだろうか、などと考えてしまいました。

投稿: いわい | 2006/07/25 08:03

■悠さんへ
アングラ劇、歌声喫茶、ジャズ喫茶…
懐かしいけど、思えば、あの頃の自分は、相当むちゃくちゃ。
今でも、むちゃくちゃですけど。(爆)

投稿: あかん隊 | 2006/07/04 23:56

>顔がわからないような演出
そうそう、写ってたのは、おじさんの家の子供、街灯の娼婦、友達、、、みすずの世界を象徴してますよね。
おいらが懐かしかったのは、アングラ劇くらいかな(^^ゞ

投稿: 悠 | 2006/07/04 22:37

■ミチさんへ
>ストレートに表現しない
そうそう。それですよね? 今だったら、たちまち抱き合ったり、キスしたり…。あの頃は、まだ「接吻」という言葉が似合うような空気がありました。「告白」すら、今だと「コクる」になるらしくて、風情とか情緒とか、霞んでいます。
表意文字である「漢字」が、日常から隔離されていって、「カタカナ」が日常になる社会は、「意味」(深い心理)よりも「音」(刹那の感情)が先行する時代を顕著に表しているのかも。

投稿: あかん隊 | 2006/06/22 21:27

こんにちは♪
あかん隊さんもご覧になったんですね~。
あの時代は私にとっては少し覚えている程度ですが、なんとなくニュース映像などからの刷り込みで「知っている」感覚があります。
事件の重大さはみすずにとっては全く関係が無かったんですよね。
仄かな想いとか、それをストレートに表現しない雰囲気とか、今の若者(この言い回しが年寄りくさい!)には考えられないようなある意味奥手な恋が好ましかったです。
精神的には幼いのに、恋愛の表現だけは欧米風にストレートにせっかちになった現代がなんだか疎ましかったりして(汗)

投稿: ミチ | 2006/06/22 20:05

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