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2006/08/31

いいこと

生きていて、自分にとって「いいこと」(幸運?)がある。
同じように「よくないこと」(不運?)もある。

「いいこと」と「よくないこと」の判別は、ことが起こったその時のものだけで終わらせたくない。
「いいこと」のように思えたことが、のちのち「よくなかったこと」に変わる場合もあるし、「よくないこと」でもプラスに還元することは可能だと思う。

「あなたたちが結婚してから、いいことはひとつもなかった」

そう言われたことがある。ずいぶん悩んだ。
でも、今はもう悩まないことにした。記憶している、それだけでも、気にしていることになるのかもしれないが、それはそれで、プラスに還元しようとする気持ちが既に働いていると感じることができるから。

「いいこと」って、なんだろう。
人それぞれなのだろうけど、そんなに「いいこと」期待していたのかなぁ…。
そんなに「よくないこと」ばっかりだったのかなぁ…。

毎日、ご主人の位牌に向かって「迎えにこないで」と祈り、
「今が、一番幸せ。もう誰とも一緒に暮らしたくない」とおっしゃる方にとっての「いいこと」は、私にとっての「いいこと」とは、かなりの隔たりがあるように思える。

意固地になるのではなく、彼の方にとって「いいこと」ではないであろう私との関連を少しでも意識せずにいられるようにしていよう。

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2006/08/28

薬のかすがたまる?

実家の父の具合が、思わしくなく、再入院となる。
血圧が低下、肝機能が悪化…。

で、医師の説明だと「いままでの薬のかすがたまったんですね」
というのだが、よくわからない。副作用ということ?

いくつかの薬をやめて、少し別な薬が処方された。
今度の薬も、やがて「かす」がたまるのだろうか?

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2006/08/26

GOOD DESIGN PRESENTATION 2006

ビックサイトで行われているイベントに行ってきた。

http://www.japandesign.ne.jp/gdp/

とても興味深い催しだった。
「グッドデザイン」のマークは、知っていても、その製品が「グッドデザイン」だから購入する、または購入したという意識はない。むしろ、過去の受賞製品の中に、自分が使っている(使っていた)製品があったことに、驚きながらも「グッドデザイン」の持つ深淵を感じたかもしれない。

自分なりに「グッドデザイン」と言われる、さまざまなカテゴリの製品にほぼ共通して感じられたことをまとめておきたい。

○使う側にたって考えている
○シンプルである
○色彩もシンプルである
(模様や柄の入ったものは少なく、多色であっても、面として見る場合には、「一色(または)二色」程度に見えるような色遣いが多い)
○コンパクトである
(同様の機能を持つ製品とくらべて、小さくなっているものが多い)
○無駄がない
(シンプルと近い意味になるかもしれないが、極力装飾的な部分をそぎ落としている)
○やわらかいフォルム
(角を落とした雰囲気のものが多かった。「やさしさ」を感じるのかもしれない)
○一見して、用途(何につかうものか)がわかる

なにより、「人間のつくりだした美」(自然にはないものという意味で)を強烈に意識させてくれた。デザインは、押しつけではなく、使う側(つまり、デザインする側の人間とは対極に存在する人間という意味)の『人間としての、人間へのおもいやり』が、昇華し、凝縮されているように感じた。

開催は、今日(26日)まで。
過去の受賞製品は、懐かしいものばかり。

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2006/08/25

『太陽』公開拡大

『太陽』の公開が、どんどん拡大されています。
お近くの劇場はありませんか? 詳細は、下記からどうぞ。

http://taiyo-movie.com/theater.html

観ておいて、後悔しない映画だと思います。

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宮城礼拝

子どものころ、函館公園には、よく行った。
幼稚園の遠足や小学校の校外学習だったり、休日に親子(といっても母子だけのことが多かったが)で出かけたりした。

その頃(だいぶ昔だけれども)には、ライオンもいたし、ヒグマ、イノシシなどもいて、大変小規模ながら、動物園のような、遊園地のような雰囲気もあった。今は、小動物(キタキツネ、ポニーや小鳥など)が、少しいるだけのとても静かな公園だ。

たしか、この公園内にあったと思うのだが、
「宮城礼拝」と刻まれた「碑」のようなものがあった。(今でもある? 未確認)

子どもだった自分は、「みやぎ? れいはい?」と読んだ。(恥)
「宮城県」と何か特別の関係が?(小学校の低学年だったのか…)

その時、母に尋ねてみた。爆笑されてしまった。
「きゅうじょうれいはい」。

意味も、少しはわかったが、「日本が戦争していた時代がある」ということが、理解できていなかったころだったのだと思う。

どうして「宮城を礼拝」するのかな? と思った記憶が、おぼろげにある。

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2006/08/22

JFK(DVD)

『ユナイテッド93』に関連して、思い出したことから、「9.11」に関連する書籍を読んだ。
その中に、『JFK』(映画)についての記述があったことから、「そうだ! 観てない」と思い出し、DVDを購入した。

これは、すごかった。1層のDVDでA面とB面があって、途中で裏返す。
「SIDE A END」の文字に、知らないで慌てた(^^;)。それでも、期間限定とはいえ、1500円(税込)は、超リーズナブル!
この映画を見逃していたなんて…。

恐ろしいほど現実感がある。貴重な映像もたくさん織り込まれていて、緊張が解けることがない。実在の人物、実在の名前、現実として起こった事件であったにも関わらず、ひとつのスリリングで重厚なドラマにすら思える。謎に包まれた真実は、その輪郭を闇の中から時折浮かべてみせながらも、すべてを出現させることがない。謎は、いまだに謎のまま。

凄い国だ。良い意味でも、良くない意味でも。

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2006/08/21

ユナイテッド93(20060817)

完璧に酔った。ものすごい頭痛がして、吐き気がした。

飛行機は、嫌い。
すぐに酔ってしまう。搭乗したら、できるだけ早く眠ることにしているのだが…。
パラシュートはなくて、酸素マスクって、何の役に立つのか、と毎回しらける。ファーストクラスだろうが、ビジネスだろうが、墜落時の存命率が変わるわけじゃないだろう。

オーストラリア人の知人から「ボーイングを探せ」(DVD)を貰ったのは、少し前になるのだけれども、ついこの間もCNNニュースのトップに「9.11テロ、ねつ造疑惑再燃」という記事があった。

興味があれば、下記からどうぞ。
http://www.wa3w.com/911/

ここに紹介されていた本も購入して読んでいる。翻訳がかなり粗いので読みにくい。少なからず極端なことも書いてある。それでも、なかなかおもしろい。
のめり込むまでには至らないが、確かにそういうこともあり得るだろうとは思える。

かなり脱線。

乗り物酔いの状態で、がんばって観た映画は、不条理そのもの。
実行犯は、アッラーへの祈りを唱え、乗客は、キリストへの祈りを唱え、実行犯は、命がけで飛行機を目標へ落とし、死のうとしているし、乗客も命がけで、飛行機を上昇させ、生きようとする。いったい、これはどういうこと?
頭痛も、気分の悪さも、もしかすると乗り物酔いのせいばかりではなさそうだ。

「懸命に努力すれば報われる」などという言葉が、これほど虚しいことがあるだろうか。
「信じれば救われる?」「敬けんな信者は、神の国で幸福に?」

テロが、ねつ造されたものかどうかということを別にして、あの日、大勢の人たちが亡くなったことに変わりはない。軍人でもシークレットサービスの人間でもない、ごく普通の人たちが、犠牲になった。何のために?

実行犯たちは、裕福で幸せな生活には無縁の人たちに見えた。無関係の、たまたま乗り合わせた人たちを巻き添えに、死を選択する。彼らの「生(せい)」とは、いったいなんだったのだろう。彼らに「死への恐怖」はあっても、始めから「生」を選択する気持ちはないように見える。

極限状態でも、必死で「生きる」ことにかける乗客。それは、少なからず「現状の生(せい)に価値がある」と強く思えていたからこそ。あきらめずに、最後まで。

監督は、「観客は、自分だったら…と考えるだろう、それがひとつのきっかけになる」というようなことをコメントしていたように思う。自分なら、できることはする。
もちろん「生(せい)」のために。そう思えるのは、おそらく恵まれた「生」を生きているからなのだと思う。

恵まれない「生」を生きている人もいることをよく考えなければならない。
暴力に訴えることは、許されることではない。が、彼らが「死を賭して、報復(?)」を望んだのか、それとも、「気づき」を期待したのか…。どうも見えない。

地球上の「冨」や「健康で幸せな生活」が、一定量しかなく、それを支えているのが、「貧困」や「明日をもしれない生死と隣り合わせの生活」だったとしたら、どちら側で生きたいと思うだろう。「安全な場所」は、もうどこにもない。どうしたらいいのかも、よくわからない。

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2006/08/18

死ぬまでにしたい10のこと(DVD)

気になっていた映画のうち、劇場で観るチャンスを逸した映画は、こつこつDVDで。
そう思っているうちに、忘れてしまうことが多い。

これは、カヌさんの記事で思い出した。ありがとうございます。

主役の彼女、どこかで…、そうそう『アメリカ、家族のいる風景』に出てました。
少し影のある、それでも自分の立ち位置をしっかり持っている女性の雰囲気には、ぴったりの女優さん(サラ・ポーリー)だと思います。

「死」をこういう形で扱うお話は、どうしても泣かせるお話になるから、題材としては「斜に構えて拝見」することになってしまう。
テープに録音するメッセージ。あっさりとしたものだったけど、主人公の心情を表現する、なかなかよい台詞だった。

この世で、生きているものに絶対なのは、「死ぬ」こと。遅いか早いかの違いこそあれ、彼女には、少なくとも幸せな時間があったはずだし、いなくなっても思い出してくれたり、偲んでくれたりする人たちがいる。

自分がいなくなっても、この世界は続いていく…と彼女は思いつくのだけれども。
過程が、ややあっさりしていたためか、彼女が飄々としているためか、じんわりとしない。

地球上では、長生きの生物である人類。しかし、その一生など、遠い星の光が、地球に届くまでにかかる時間に比べたら、ほんの一瞬、針の先ほどの時間でもない。

理不尽な死は、受け入れがたいこともある。
彼女は、不運ではあったかもしれないが、不幸ではなかった…と。
「死ぬより辛い生」もあるのだ、ということを、やはり考えてしまう。

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スーパーマン・リターンズ(20060811)

映画になってからは、観たことがなかったような気がする「スーパー・マン」。
子どものころ、テレビで見ていた、と思うのだが、あまり記憶にない。
とはいえ、懐かしかった。(矛盾するかな?)

きれいなシーンが多くて、絵になる。

スーパー・マンが、正義の味方で良かった。たいした欲もなさそうだし。
これが、権力やお金に対して欲があるような、地上によくいる人間と変わらない性格の存在だったらたいへんだったろうな、と思う。

彼でも、同時多発的に起こることについては、対処しきれない。
ましてや、これが戦地だったら、彼はどうするのだろう。ぜひ、中東やインドネシアやアフリカなど、国際的にも解決がむずかしいところへ行ってみてほしい。
地球人(?)には、できないことも、彼ならできるかもしれない。(でも、アメリカ国籍なのか?) そうだ、将軍のおらせられる某国も、ぜひ視察していただきたい。

事故は、別としても、結果として起こることに対処していたのでは、きりがないことがよくわかる。原因を絶たなければ、彼の多忙に終わりはない。でも、原因って、あの悪役だけなのか?(ケヴィン・スペイシー、悪人と思いたくない意識が強かったからか、あまり怖くない雰囲気。もっとも、だから安心して観ている、ということになるのだが)

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ブレイブ・ストーリー(20060811)

GONZOのアニメを観たくて出かけた。
松たか子は、苦手なので、なるべく意識しないようにしたら、さほど気にならなかった。(松たか子ってわかるけど)

宮部さんの原作は、知らない。彼女の本は、一冊も読んだことがない。避けているといっていいと思う。特に理由はないのだが。

RPGのゲームのような展開で、時空軸はどうなったんだ? と思うところはかなりある。
まあ、それでも、現時点の自分の意見とは異なる意見を持つ「グレー化した自身」を「理解し、同期して、受け入れることのできる、別な自身」には、泣けた。わかるなぁ、あの気持ち。自分自身を「了見する」(こらえること、ゆるすこと、という意味で)のは、なかなか難しいことなのだけど。

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2006/08/11

太陽(20060811)

2006taiyoイッセーさん、すごかった…。

戦後生まれの自分でも、テレビで報道される「昭和天皇」の雰囲気は、知ってたから。観察というのか、研究というのか、ソクーロフ監督をして「日本の宝物のような俳優」とまで言わしめたのもうなづける。

「あ、そう」のタイミングも、質問をはぐらかすようなタイミングも、手袋をはめた指先にまで、「(昭和天皇の)ひととなり」が現れていたよう。

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声を出すことがない。

最近、声を出してしゃべることが、極端に少なくなっている気がする。
人の声が懐かしく思えたりしてしまう。

メールでの会話が増えたこともあって、電話で話すことも少なくなってしまった。
そういえば、昨日しゃべったのは、某宗教団体からの勧誘電話に断る時と荷物の受け取りに、「はい」と言ったくらいだったか…。

それでなくても、話すのがうまくはないのに、どんどん下手になる。
鍛えられない、ひとりでは。

気持ちが先行して、言葉がなかなか出てこないような傾向もあるような気がするし、しゃべる機会があると、ついつい、つんのめるようにしてしゃべってしまいそうになる。
ひとりでこもっていても、さほど辛く感じないけど、別に孤独癖でもなんでもないし、たまたま、こういう状態が続いているだけのこと。

たまに見るテレビに向かって、ひとり、ぶつぶつ言ってみたりする。<不気味かも。

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2006/08/08

ゆれる(20060807)

0807yureruオダギリジョー。香川照之。

彼らは、役者冥利につきる映画に出演できた。
彼らのための映画でもあったように感じた。

やっと観に行けたというのに、今ひとつ、感慨がなかったかもしれない。良かったとは思うのだが、どうも乗り切れなかった。

検事役の木村氏、よかった。

裁判を傍聴したことがないから、実際はどうなのか、差異があるのか、ないのかもよくわからないが、雑な感じがした。血縁者の証言、婚姻関係にある者の証言などは、信憑性に欠けるという判断がなされる場合があると思っていた。たとえ、被疑者に不利な証言であったとしても。

人間の記憶など、一番曖昧で、主観やその時々の心理状態に左右されるものであるのに違いない。確証などない。絶対は、あり得ない。

ここでも、唐突にいろいろなことが起こるし、主人公(弟)の本意も掴みにくいし、その兄の本意となると、さっぱりわからなくなる。主人公は、兄思いの弟なのか? 本当に?
兄にしても、あれほど抑圧された感情をもてあますようでは、ボーダーラインだろう。
…という具合にあとを引く映画だったので、これは良いものなのかも。
それでも、もう一度観たい、とはちょっと思えなかった。良い作品だと感じはしたのだが…。

画面のところどころに「赤」のアクセントが、心憎い。ライターの赤、風船の赤。
あのたばこは、何だろうと気になって、帰り道、自販機にあったので買ってみた。

香川さん、いつもこうエキセントリックな、特殊な役柄が多いようだが、彼の「普通に格好良い役」を観たい。彼を主役にしてみたらどうだろう…、また余計なことを考える。

兄弟の確執や葛藤が中心となるのだが、兄が「苦労を負い、不運」なように見えるのは、なぜか。
ちんまりとすわって、洗濯物をたたんでいる後ろ姿か?

忘れてはいけない。「おかあさん」と称される、いわゆる、あの家の主婦は、おそらくスタンドの仕事は、当たり前のように手伝い、家事一切をやっていたに相違ない。
「おかあさん」が、やっていたことは、さほどの「苦労」でも「不運」でもなくて、長男や夫がやるとなぜ、ことさらに「苦労」に見えて、しかも、どうして「不運」なのか。

どこかにそういった固定観念を前提としたものが横たわってはいないか?

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さてさて、このところ、観たい映画がいろいろある。

○『蟻の兵隊』 公式サイト→http://www.arinoheitai.com/

○『太陽』 公式サイト→http://taiyo-movie.com/
(これは、ずっと気になっていたロシア映画。日本では公開されないかもしれないと思っていたら、やってくれましたね。嬉しい限りです。 出演:イッセー尾形、桃井かおり 他)
連日、混雑しているようですが、何が何でも観に行くゾ!

海賊の映画も、動物のアニメも、あとまわしになる。

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2006/08/07

ゲド戦記(20060806)

Gedo200608コローの風景画のレプリカを見ているような背景。
パステルカラーの色彩。動画自体は、あまり細かい描き込みがないのが、らしい、といえば、らしいのか。

「偶然」と「たまたま」が多くて、プロットがわかりにくかった。
登場人物の人間関係、深いところが微妙。

ふうーん。

アレンもテルーも、髪型を同じにしたら見分けにくかったろうな。表情もすごく似ていて。

『もののけ姫』の「ヤックル」に会えたから、うれしかった。角がなくなっていたけど…。あの、アシタカが大人になって、ハイタカに?<ウソ。

良いお話なんだろうけど、わかりにくい。抽象的。
不安だからって、父親を殺害(?)する理由にはあたらないような気もするし、バランスが壊れているシチュエーションが、言葉で語られるだけだから、しっくりこない。
「農耕とわずかな家畜を飼う自給自足の生活」をする人々が、果たして本当に「良き民」と言えるかどうかは、疑わしい。土地は、どこにでもあって、誰でも自由に耕して良い、というわけではないだろう…といった脇道へそれるような考えはやめにしよう…。

予告編で泣いてしまったのに、本編で泣けなかった。

「真の名」っていうのは、いい。是非、誰かに教えて、「何も考えずに言われたことするだけ」になるなら、どんなに楽だろう、などと思うのもへそ曲がりの証拠。(でも、自分でもわからないゾ)

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