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2006/09/18

出口のない海(20060918)

200609img018この映画で、強烈な「反戦」を思うことができるのだろうか?

先の戦争で犠牲になった日本人は、およそ300万人(非戦闘員を含む)と言われていて、アメリカ兵が6万人、次いでオーストラリア兵が3万人という記述があった。この映画を観て、それほどの日本人が犠牲になった戦争の残酷さを感じることができただろうか。はなはだ疑問である。

この映画を観る限り、実戦配備されている緊迫感はほとんどない。生と死の狭間を去来するような、重苦しい空気は感じられない。

手順ひとつたがえただけでも壊れたり、動かなくなったりする「回天」。そのうえ、恐ろしく時間のかかるインターバル。あれで、攻撃に間に合ったのだ ろうか? 悠長なのは、それだけでなく、あの時点で訓練をしていたということや艦長など上官たちが、彼らに対してあまりに人間的(というよりも現代的)な 感想を述べることもある。

大声で「日本は負ける」といいながらキャッチボールに興ずることのできる神経も尋常ではなさそうだ。自身の「死を賭した」行動なのに、どこか他人事のようなのだ。

だいたいにおいて、敗戦の色が濃くなっていた「非常時」に、あれほど「血色よく、立派な体躯をし、どこかのほほんとした表情」を持った決死の日本兵がいたのだとしたら、これは驚異でもある。そういう意味では、伊勢谷くんの雰囲気は、良かったのではないだろうか。

ラスト、記念館にある記念写真にしても、あの時代に「くったくのない笑顔」で撮影されることなどあり得ないだろう。「軍神」にもなろうかという彼らが、天真爛漫な子どものように微笑む写真は、「回天」をバックにして、珍妙ですらある。

彼らが抱えていたであろう「本当の苦悩」は、少しも見えてこず、愚かなほど単純で、素朴だ。志願するというのも唐突だったし、特攻の希望者を募る用紙に「○」を書くのも、その時の成り行きのようにみえた。

灯火管制が引かれていたはずの民家では、夜間にも拘わらず、明かりは点け放題。帰宅する学生は、手ぶらなのか?

「回天というものがあったことを知らしめるために」というが、どうにも情けなくなってしまう。それだけでいいのか?

特攻で、何度も死に直面しては、本懐を遂げられない…その精神的なものは、想像することもできない。終いには、何のため、というよりも「死ぬこと」が目的になっていそうだ。

「七生報国」のはちまき。「金比羅様」のバックアップ。引きだそうとするメッセージは、わからなくもないが、かすりはしてもズンと心に響いてはこな い。悩めない。そこにある「理不尽」が、ちっとも見えないのだ。戦争は、きれい事であるはずがないのに、「可哀想」とか「気の毒」とか、そういった感情に 訴える程度の軽さだ。

「不快なものはみたくない」そんなトラウマに支配されているのではないのか?

訓練中の事故で死亡した主人公だが、観客は、「彼がどうであったら幸せ」だと思えたというのだ。特攻の生き残りとして、傷だらけの精神を背負ってで も、生に執着すべきだったと思えるのだろうか。「回天」の具体的な様子は、描かれていた。しかし、あの戦争を題材とする作品において、求められるべき主題 は、かすんでいた。

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「映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

■anafanさんへ
初めまして。コメントいただいて、うれしく思います。
ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。
戦後生まれの自分ですが、戦争については、折に触れていつも考えたいことのひとつです。もうじき、クリント・イーストウッド監督の映画も公開されますね。見逃せないです。

投稿: あかん隊 | 2006/10/05 04:55

こんにちはanafanと申します。

確かに、出口のない海は、映画を見終わったあとには、何かが足りないよなぁという気持ちになりました。

しかし、映画を見て一週間やはり事実の重みなんでしょうか。
どうも回天のこの映画の印象が日々強くなってきている自分の気持ちなんです。

投稿: anafan | 2006/10/05 03:31

■悠さんへ
歌舞伎では、たぶん舞台映えが大切なのでしょう。
原則、着物(和服)が衣装ですから、着物に向いた体型が求められるのかもしれませんね。肩幅とか胸囲があった方が、立役は、押し出しが良さそうです。素人の想像ですけど(^^;)。

投稿: あかん隊 | 2006/09/21 02:12

ハンドル名落としてますm(__)m。
歌舞伎役者の、顔、声、あとなんだっけ?の顔は、大きい顔=化粧して、見栄えのする大きい顔のことだって聞いたことがあります^_^;。

投稿: 悠 | 2006/09/20 07:02

■ミチさんへ
半藤氏の「昭和史」(2巻)を読んだり、ドキュメントとしての「散るぞ悲しき」など、先の戦争を知識として取り入れるごとに、もっとグロテスクで残忍な行為としての「戦争」が見えてきてしまいます。

「戦争を悪」とするには、余程強い気持ちがなければならないはずで、そうでなければ「意図として行われる戦争」が、なくなることはあり得ないような気がしています。病気や交通事故、災害で…というのと変わらない切り口の「戦争」ではいけないと思っています。

しかし、海老蔵さん、思いの外、背が低いのですねぇ。(^^;)
足も、おせじにも長いとは言えず、多分、和服などお召しになると映える体型なのですね。歌舞伎では、顔が大きい方が見栄えがします。染五郎さんなどは、小顔なので歌舞伎では、損しているかもしれません。先入観があるためか、他の俳優さんたちに対しても「どことなく偉そう」な、威圧感を持っていたように感じてしまいました。

投稿: あかん隊 | 2006/09/20 04:15

■悠さんへ(ですよね?)(^^;)
彼らを死地へと追いやった、本当の責任は、どこにあるのかを問うようなことをしたら、えらいことになってしまうでしょう。だからかな、現在から見たあの時代、といった趣がずっとベースになっていたようです。このような手法でごまかすしかなかったのかしら。話題にはなっても、中身のないものでした。

「敵を見たことがあるのか」、と主人公の父親の台詞。これで「家族」「同じ人間」…だから、と言いたかったのかもしれませんが、その「敵」は、少なくとも「生還」を前提にしているはずで、「死」を前提にしている主人公にとって意味のある言葉とも思えません。むしろ、非情で残酷な言葉に聞こえました。

投稿: あかん隊 | 2006/09/20 03:42

こんにちは♪
本当に戦争映画というのは難しいなと思います。
原作も横山秀夫さんにしてはいまひとつだったかなと思った覚えがあります。
それが映像化されたらなおさら・・・・(汗)
史実を知れば知るほど映画での粗も見えてきて困りますよね。
「回天」を知る人がそう多くはないと思うので、この映画はそれを知らしめたということで良しとしました。
海老様はやはり歌舞伎に精進していただきましょう~。

投稿: ミチ | 2006/09/20 00:02

戦争後60年も経っているので、当時の人物に感情移入しにくいですよね。たとえて言えば、関が原の戦いに借り出された農民の悲哀を描かれても、感情移入できないのと同じでm(__)m。平成の漫才師が、タイムトリップして神風に乗せられるって設定の『THE WINDS OF GOD~KAMIKAZE~』とか、戦争の悲惨さを直接ではなく、戦後の生活をえがくことで、原爆の悲惨が浮かび上がる「父と暮らせば」とか。
なんか、戦争を描くには、芸がいる気がします。

たんたんと情勢をうけいれて慫慂として死に赴く、ってな映画のように思えて、この映画パスしますけどm(__)m。

投稿: | 2006/09/19 23:46

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その日彼らは死ぬために回天に乗った。愛する人を人たちを守れると信じて・・・。 ■監督 佐々部清■原作 横山秀夫(「出口のない海」講談社刊)■脚本 山田洋次・冨川元文■キャスト 市川海老蔵、伊勢谷友介、上野樹里、塩谷瞬、香川照之、古手川祐子、三浦友和□オフィシャルサイト  『出口のない海』 1945年、極秘任務で潜水艦に乗艦した甲子園投手の並木(市川海老蔵)をはじめとする4... [続きを読む]

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