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2006/10/24

セプテンバー・テープ(20061022)

200610img007明日から雨、というので出かけた。
公開から数週間経っていたこともあって、混雑はなく、落ち着いてゆっくり観賞できた。

ノンフィクションかと思っていたが、そうではなかった。予告など、広報のコピーは誤解を与えるに十分過ぎる。

考えていることはネガティブでも、信じられないほどポジティブでアクティブな「アメリカン」が存在するのだとつくづく思い知らされる。

結局のところ、何が言いたいのか、よくわからなかったし、危険を冒して撮影を敢行するほどの意味があったのかどうかも疑問だ。

フィクションとノンフィクションを織り交ぜているらしい。どうかと思う。
9.11の一年後に「渡航禁止」を破り、現地に赴いたというが、何をしたかったのだろう。全くのドキュメンタリーフィルムであるなら、もっと意味があったかもしれない。

撮影された、現地の実在の人物は、どう考えているのだろう。この映像を観ることは多分ないのかもしれない、と想像する。

主人公は、9.11で妻を亡くした夫である設定になっているが、彼が危険を冒して求める対象は「ビンラディン」。テロの首謀者と目される人物を、私的に制裁しようとしている。(だがしかし、この時点では氏の「犯行声明」は発表されていない)

この主人公のなんとわがままで単純で、まわりの迷惑を顧みないことか! フィクションとはいえ、かなり強引な、しらじらしささえ感じられる。避難や撤退を進言するスタッフに「解ってくれ!」と危険きわまりないところへ、半ば同行を強制している。主人公より先に、通訳の人物は、射殺され、カメラマンも打たれて死亡する…というプロットに、何をどう考え、捕らえればいいのか、監督は、このフィルムを撮影することで、なんらかのプロフィットを望んでいるのではないか、とさえ勘ぐってしまう。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」と似たような手法だとするのなら、冒涜にも近い行為と言ってもいい。

原因や経緯や、その手段などの正否は別として、アフガニスタンでは、真に「生活のために生死をかけている人々」がいる(いた)わけで、そうしたシチュエーションに、ともすればコマーシャル的要素も少なからずあるような、冒険家気取りの気分が見え隠れしている。9.11に絡むと、どうにも納得できない映画ばかりのように思う。いまだ「題材」とするには、早すぎる「生々しい事実(事件)」なのかもしれない。

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