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2007/04/29

クイーン

伝えられる情報や外見、姿形から得られる印象は、作られたもの。

「カリスマ」や「求められるイメージ」を作り上げるのは、有象無象の「(その時、その時代、その社会での)一般大衆(または世論?)」。
実体があるようでいて、実は、具体的な形で把握することが難しい、常に動き、流れるものでもある。しかし、その「実は、よくわからないもの」は、自らの動向が、求めて止まない「カリスマ性」や「善きイメージ」の対象となる側に、どれほどの圧力となっているかを意識しない。
それは、「(世論に?)翻弄される側」になったことがないからでもある。

時代が移れば、絶対的な権威を誇っていた英国王室も、こうした「(姿なき?)声」を無視できなくなっていることは、周知の事実。

誰が、自ら進んで「憎まれ役」を引き受けたいと本気で思うだろう。
歴史ある権威の象徴として、伝統ある王室を継ぐ以上、保守的であることに疑問を投げかけることは、矛盾しているとも思える。「権力は、必ず腐敗する」という不文律も、英国王室ほど長きにわたって存続していれば自明の理。それでも、存在し続けている以上、必要とされていることに他ならないのではないだろうか。

君主として、実際に国を統治していた時代と比べれば、王室の方々は、苦労・心労の連続かもしれない。彼女は、生まれながらにして「女王」であり、それ以上でもそれ以下でもない。他の選択肢は、彼女にはなかったと言えよう。

名誉と経済力、さらには若さと美貌と知性に溢れた女性としてだけでなく、皇太子妃という地位まで手に入れ、離婚を経験した後も、その幸運の部分を十分に活かし、自由に生き、己の価値観を貫いた女性は、早すぎる死が不運であったにせよ、決して不幸だったとは言えないのではないだろうか? 彼女は、何もかも失ったわけではなかったのだし、全くの「無」から再出発したわけではなかったのだから。意地悪く聞こえるだろうか?

女王になる、ということは、人生のすべてを国と国民に捧げること…という言葉が、何度か出てくる。これは、非常に重い言葉だ。もし仮に、立場が違ってさえいたならば、女王といえども、「自由に生き、己の価値観を貫く女性」として生きる選択肢を持ちたかったかもしれないのだから。

小川のほとりで、独り涙ぐむ時、女王ほど気の毒な女性はいない、とさえ思えた。
映画の脚色なのだろうか?

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コメント

■ミチさんへ
女王の来日、記憶がおぼろげです。(^^;) いつ頃だったのかな?
具体的な対象に向かって夢中になる、ということがなかなかできない性分らしくて、気分が散乱しちゃうのか、次々別なことを考えてしまうのか、それとも単純に記憶力が悪いのか<それだろー。。。
英国の王室は、良い意味でも悪い意味でも、比較的オープンですよね?
対して、日本は…と比較するにも及ばないほど「神聖」なんでしょうか? 日本の天皇は、一時「現人神」でしたから、最初から「人間」である女王とはぜんぜん違うのかもしれません。<なんだかな~。

投稿: あかん隊 | 2007/05/08 03:53

こちらにも・・・。
ずっとずっと以前エリザベス女王が来日されて日本中がフィーバーしたのを覚えておられますか?
かくいう私もアサヒグラフを買って女王のファッションチェックなどして(そのときからお洋服見るの大好き)、英王室ウォッチャーとなったわけです(笑)
女王の後ろに佇むエジンバラ公がすごく印象に残っていますが、この映画の中でもいい味出してました。
女王のお母様といい、エジンバラ公といい、結構辛辣なこと言ってましたよね(笑)
若くして転がり込んできた女王という地位。
最初はチャーチルにいろんなことを習ったでしょうね。
そして今はブレアにいろいろ教えてる。
50年は長いな~と思いました。
日本国民にとっての皇室以上に、英国民にとって王室は敬意に値しているのかも。
そのかわり批判も辛辣でしょうけれどね。

投稿: ミチ | 2007/05/07 22:06

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