茶々-天涯の貴妃
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意外。これは余韻が残った。
本来なら、苦手なCG酷使映画のはずが、さすが最古の叙事詩をもとに制作されただけのことはある。多少、似通ったシーン作りは、気になったが、どうしてどうして。
なかなかのストーリーとキャラクターではある。
グレンデル(原文では、カインの末裔、といわれているらしい)というのが、みょうちくりんな、見るも無惨な姿をしているのだが、どうして、あのようなイメージになったのか、知りたいと思った。巨人とも竜とも言われているはずのグレンデルを、わざと(?)あのような姿で描写したことの意味はなんだろう。
現代にも通じるように、また、男性客も喜ぶように脚色されている。
色香に弱い男性諸氏。秘密にしていることの自責。
「空虚になった英雄」「過去に死んだ」と思うほど、思い悩む、苦悩の王が、それでも若い側女をいとおしみ、本来の愛の対象(妃)から、己を遠ざけようとでもするかのような行為に、気の毒…と思うことも可能だが、要するに、それも「(都合の良い=同情を誘う)言い訳」に思える。しかし、己の全て(存在そのものが不実である、異形=ドラゴンとなった息子さえも)を犠牲にしても、最愛の妻(妃)と側女の命を救わんとする姿には、納得した。
「ファンタスティック・フォー」のシルバー・サーファー酷似の、ゴールド・サーファーならぬ、黄金男は、実の息子であるわけで、ドラゴンの狙いが、父親の妻や側女であることを考えれば、父親を独占したかったのか? それとも? と悩む。
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もはや、ディズニー年代ではないことをはっきりと自覚した映画。
申し訳ないけど、こうした展開の映画は、観てもおもしろいと思えなくなってしまった。
スピード感だけが、いくらかの救いになっていたが、巨額の費用をかけて、この程度の映画を制作することに果たしてどれほどの意味があるのか…。
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古式ゆかしい映画の雰囲気を継承しているのかもしれなかった。
元になった映画は、観ていないから、比較して何か言えるわけではない。
言わんとするところは、よくわかる。わかりやすい。が、直球すぎた。少なくとも、自分にとっては、さほど記憶に残る映画にはならなかった。話がうまく行き過ぎる。もっとも、そういう物語が好まれた時代に作られた映画が元になっていたからかもしれない。
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